【街歩きと横浜史/ブックレビュー】横浜プロテスタント史研究会『横浜開港と宣教師たち』(有隣新書、2008年)

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【街歩きと横浜史/ブックレビュー】横浜プロテスタント史研究会『横浜開港と宣教師たち』(有隣新書、2008年)

開港期の横浜に居留していたプロテスタントの宣教師11人について、特に「開港当時の横浜山手の教育事情」と共に詳しく触れている本です。

例えばこの本を読むと「なぜ、横浜山手には女子校が多いのか」について知ることも出来るのですが、そもそも幕末・維新当時、アメリカから日本に渡ったプロテスタントの宣教師の数は、開港後最初の20年強の統計では男性宣教師(127人)より女性宣教師(186人)の方が多かったようです(P12より)。

これは当時のアメリカ社会の風潮から来ていた部分だったようで、日本国内では開港場付近の居留地だった横浜山手がその影響を強く受けた、結果として横浜山手が近代日本の女子教育の先進地域となりつつ現在に至りました。

「宣教師たち」本編で冒頭を飾るのは、「幕末日本に渡った宣教師といえばこの人」という位の知名度と実績を持つヘボン博士です。

ヘボン博士については、その実績について触れられた本が他にもたくさん出されていますが、「宣教師たち」ではその略歴について時系列で沿ってまとめられつつ、特に日本人の著名人や他宣教師との関わりにスポットが当てられます。

ヘボン博士の日本語教師として和英辞典の編纂に協力した岸田吟香さん(日本で初めて卵かけごはんを食べたといわれる、明治期のジャーナリスト・実業家)、ヘボン塾の塾生だった林董さん(後の外務大臣)、高橋是清さん(後の蔵相、日銀総裁、首相、横浜正金銀行頭取)、ヘボン塾を引き継いだ男性宣教師であるJ・H・バラさん、ヘボン塾の女子部を引き継いだ女性宣教師であるM・E・キダーさんなど、横浜史ではおなじみといえばお馴染みの交流関係が淡々と、ダイジェスト的に紹介されます。

ちなみに「宣教師たち」で「11人」にカウントされている主な宣教師は、ヘボン博士の項でも触れられた二人、J・H・バラさん(ヘボン塾を引き継ぎ、明治学院の母体である「バラ学校」を創設)、M・E・キダーさん(ヘボン塾の女子部から派生したフェリス女学院の創設者)をはじめ、横浜共立学園を創設した3人の女性宣教師(M・P・プラインさん、L・H・ピアソンさん、J・N・クロスビーさん)、横浜バプテスト神学校(後の関東学院。元町公園隣の額坂に「発祥の地」由緒書きがあります)を創設した男性宣教師であるA・A・ベンネットさん等々です。

J・H・バラさんについては明治学院以外にも、「高島学校」を作った易断家・高島嘉右衛門さんとの関わりにも言及されていますが、紹介されている全ての宣教師が時の日本の教育事情に強い影響を残している点に特徴があります。

「宣教師たちの活躍は、後のミッションスクールの原型を形成することに寄与しました」といった内容にまとめることも出来そうな一冊です。

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