【食事マナー?】”ご飯の左右”やナイフフォーク、お寿司屋さんでの食べ方などなど

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“マナー連呼”で結果だけを押し売りしてくる風潮も、ところによりありますが

主なところの教科書解 -ご飯は絶対に左?-

ご飯の位置 和食の場合は”ご飯が左”という固定ルールの他に、”汁物は右”(関東)、”汁物は左奥”(関西)の地域ルールあり。

“ご飯が左”の根拠は、日本食の主食が米であること、日本には”左上位”の伝統があることに加えて、右利きが多いため(右手箸、左手茶碗で食べやすい)。

中華、洋食の場合は”左優先”ルールは特に無し(”左ライス”は配膳が日本食に準拠しているというだけの話しで、それが本来の固定ルールではない。そもそも西欧では米は主食では無く、洋食の”主”は日本食で言うところの”おかず”に該当)。

洋食屋さんや中華のお店では、ご飯が左というよりは”メインディッシュが真ん中”(ご飯はその左側)といった方がしっくりくる配膳もあり。

ほか、例えばラーメン店のラーメンライスでは、”和食の配膳ではご飯が左”と同じ理屈で、”ラーメン左、ご飯右“となる場合もあり(ラーメンが”主”であると解釈されるため)。
お寿司の食べ方
(お寿司屋さんにて)
手づかみでも、箸を使ってもOK。ワサビは、醤油に溶いてもネタに乗せてもOK。いずれも”より、おいしく食べやすい方で”がその心。
ナイフ・フォーク
(取り方)
共に、外側にあるものから順に取る。
ナイフ・フォーク
(ライスの食べ方)
“ご飯をフォークの背に乗せて食べるのがマナーか否か”。正解は、背でも腹でもどちらでも食べやすい方、食べなれた方に乗せて食べてOK。

参考として、
イギリス式は、フォークの背に乗せて食べる(腹で食べてもOK?)。
フランス式は、フォークの腹に乗せて食べる。
ナイフ・フォーク
(食事中のサイン)
ナイフは右側、フォークは左側、つまり持つ手と同じ位置に、お皿の上にハの字に置く(ナイフ右、フォーク左は英仏米共通)。

イギリス式:”八の字”でナイフ先とフォークの歯を重ねる。
フランス式:”八の字”でナイフとフォークは重ねない。
アメリカ式:”フランス式”+フォークの持ち手をテーブルに置く。
ナイフ・フォーク
(食事終了のサイン)
フォークは手前(腹は上)に、ナイフは奥(歯は自分側)に、それぞれお皿に並べる(英仏米共通)。

その際、それぞれテーブルの淵に対して、
イギリス式は、フォーク・ナイフを垂直(6時の方向)に置く。
フランス式は、フォーク・ナイフを斜め(4時の方向)に置く。
アメリカ式は、フォーク・ナイフを並行(3時の方向)に置く。
日本式では、45度(3時と4時の間?つまりは斜め)に置く。

参考:日本金属洋食器工業組合テーブルマナーの実践“ほか

マナー議論のあれこれ -ライスと、ナイフ・フォーク-

巷で口うるさく(?)言われている”マナー”とやらの真偽が気になる場合は、可能な範囲でそうなった(あるいはそのように言われている)理由について考えてみることも、時に有効となります。

ちなみに、ラーメン屋さんのラーメンライスでしばしば見かける”ラーメン左+ご飯右”の配膳の場合、単に”ご飯は絶対に左”という(脊髄反射的な、稚拙な)理解の仕方をしていると、恐らくはその含意するところが理解できなくなってきます。

そのため、仮にそこに何らかの意味が含まれていたとしても、原則(ご飯左)に対する例外(ご飯右、あるいは中央)だというだけの理由から、問答無用で全否定することに(最悪の場合)繋がってしまうんですね。

前記しましたけど、強いて”ルール”を絡めて解すのであれば、ラーメン屋さんではラーメンが主役のためにそうなっている(”上位”である左に置くと解釈できる)場合がありますが、その場合、そこにはその場相応の”理”(ラーメンという食べ物への敬意)があるということを意味しています。

ステーキやソテー、ムニエル、アクアパッツァ等々が(フルコース以外の洋食屋さんの定食や、自宅ご飯等々で)メインとなる場合でも然り、ご飯は絶対に左でなければならないのかということに対してその場相応の”理”があることが自然ですが、そういう変則的なケース(和洋の判断が微妙だったり、配膳がいつもと異なっていたり等々)に対しても、都度自分なりの解釈をすることが出来ます。

主菜的には洋でもご飯が付けば洋風の和食か、あるいは和風の洋食? 汁物にスープを付けるか味噌汁を付けるかでまた変わってくるものもあるのかな? 正直どうとでも解釈できるところでは? 

でも強いて言うのであれば、という次元の解釈ですね。

参考:【物議/テレビ番組の”ライン”は?】今や一億総中流時代ではないですからね。

もう一点、しばしば見かけるこの系統の話題の中に、「ナイフ・フォークでライスを食べる場合」のナイフ・フォークの使い方に関するものがあります。

結論は既述のように、”背に乗せて食べても、腹に乗せて食べても、どちらでも良い”です。

この点、元を辿ると、開国以来(!)の日本国内での洋食マナーのルーツ的には、英国由来のものが主流となって来たようです。

「明治・大正期の親英は、戦後の親米の比ではない」(そのくらい強い感情となっていた)とは、しばしばいわれることですが、一つにはそんなところからの必然でもあったのかもしれません。

“入口”としては帝国海軍の関係者を中心として、さらには一部政財界等の親英派経由で広まって行ったのであろうテーブルマナーの一端が、戦後に入って二世代三世代と時代を経るうちになぜか反発を呼び込むことになった、やがてその反発に対する再反論も試みられるようにもなった、結果、体感としては特に平成以降に顕著となった感がありますが、無駄な論争が常態化するようになったと、恐らくはそんなところなのでしょう。

ひところは背に乗せるのがマナーだと言われ、その後腹に乗せて食うのがマナーだと言われるようになった、しかし結論としては”どちらでもよかった”ということで、言われた方は言われ損、言った方は無駄に恥を晒すことになると、こんなにアホらしい話しもないのではないかと思いますが、そもそもマナーって”自称常識人”、あるいは”自称知識人”が他人に対してお手軽に上からモノをいうための無駄知識の類などでは全くなく、万人がその場を心地良く、楽しく過ごすための最低限の決まり事みたいなものです。

当然のこととして”マナーガン無視”には人としての問題が宿ることになりますが、かといって中途半端な知識を持った状態で無駄にうるさく言いすぎてしまっても(鼻に付くマナーゴリ押しも、真っ当なマナーに対する難癖も)、それはそれで本末転倒なんですよね。

マナーの表層をネチネチうるさく言いすぎる態度には、皮肉なことに、マナーの本質をないがしろにしてしまいかねない嫌いがある、という話しですか。

行き過ぎた”正義マン””正義オバサン”がそこかしこでぶっ叩かれるのと同じ理屈ですね。

それでも某かに疑問を感じるという場合は、疑問の段階でわざわざ大々的に問題提起したり、”隣のお客さん”に答えを求めたりするのではなく、”餅は餅屋”ということで、まずはお寿司であればお寿司屋さんに、和食であれば和食屋さんに、洋食であれば洋食屋さんに、食器のことであれば食器屋さんに、それぞれ純粋な疑問として聞いてみる、その上で自分なりの結論を出すというのが一番の解決策です。

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