【未解決事件】横山ゆかりちゃん誘拐事件と、北関東連続幼女誘拐殺人事件

社会/自然科学

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【未解決事件】横山ゆかりちゃん誘拐事件と、北関東連続幼女誘拐殺人事件

事件の概要

2023年の夏の青春18きっぷ旅で訪れた群馬県利根郡みなかみ町のJR上越線土合駅にて、情報提供を求める告知が掲示されたポスターを見かけたことをきっかけとする形で、事件について記事化しました。

記事本文では”横山ゆかりちゃん誘拐事件”の事件の概要と現在の状況、さらには件の事件との関連が疑われるそのほかの重大事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)についてまとめています。

横山ゆかりちゃん誘拐事件 -警察発表と現状-

以下、群馬県警の公式サイト(ゆかりちゃん誘拐事件。以下”ゆかりちゃん事件”)より概要を引用し、要約します。

この事件は「平成8年(1996年)7月7日午後、群馬県太田市内のパチンコ店に家族とともに来店していた横山ゆかりちゃん(当時4歳)が、店内で1人遊んでいるうちに行方不明となった略取誘拐容疑事件」で、現在「ゆかりちゃんが行方不明となる直前にパチンコ店店内においてゆかりちゃんに声をかけていた男(身長158cm位|ニッカズボン様 | サンダル様|サングラス)」が、重要参考人として特定されています。

つまり「パチンコ店でゆかりちゃんに声をかけていた、身長158センチ位」の件の男が、誘拐犯として特定された上で指名手配されているのではなく、あくまで重要参考人として、群馬県警によって任意の出頭が要請されている段階なのだということですが、情報提供者には「捜査特別報奨金(上限額300万円)と太田遊技業防犯協会からの私的謝礼金(上限額300万円)」、合わせて600万円が設定されています。

“5件の未解決事件”と1件の冤罪事件

事件相互の関連性

現在でも警察発表では未解決事件だとされている”ゆかりちゃん事件”は、実は既に真犯人と思しき人物が特定されている事件でもあるのですが(この点、記事の最後にまとめました)、単体でも重大事件である”ゆかりちゃん事件”が持つやっかいであり恐ろしい点は、他の重大事件との関連が指摘されている点、および記事最後にまとめる理由から、迷宮入りが確定しているのではないかと考えられる点です。

まず、他の重大事件との関連性からまとめます。

元々”ゆかりちゃん事件”には、北関東エリア(栃木県足利市群馬県太田市)で昭和末から平成中期にかけて発生した連続幼女誘拐殺人事件(後述する”足利事件”を含む4件の事件で、すべて現在も未解決事件のままです)との関連が指摘されている面がある上、”ゆかりちゃん事件”の容疑者と目される男には、1990年に栃木県足利市で発生した誘拐殺人事件(足利事件。後述します)で容疑者=真犯人と目されている男と風貌が非常によく似ているという目撃者の証言があります。

総じて、”ゆかりちゃん事件”や”足利事件”をはじめとする5件の事件は、全て同一犯による犯行なのではないかと疑われている節を持っているということですね。

一連の事件を発生順に並べると、1.1979年(昭和54年)に栃木県足利市で発生した誘拐殺人事件、2.1984年(昭和59年)に同じく栃木県足利市で発生した誘拐殺人事件、3.1987年(昭和62年)に群馬県太田市内で発生した誘拐殺人事件、4.1990年(平成2年)に再び栃木県足利市で発生した誘拐殺人事件、以上の4件(すべて未解決事件です)の後に、5.再び群馬県太田市で1996年(平成8年)、同じく現在も未解決のままとなっている”ゆかりちゃん事件”が発生します。

痛ましいことに、被害者はいずれも小さな女の子でした。

“未解決事件”続発の恐怖

5件のうちゆかりちゃん事件以外の事件については、”一見バラバラに見えるそれぞれの事件に、

1.ターゲットが幼女である、2.誘拐現場が栃木・群馬の県境に位置するパチンコ屋である、3.死体遺棄現場が河川敷である、4.犯行期日が週末などの休日である、

という共通項が含まれていることが指摘されていますが、このうち3番目の条件以外は、全てゆかりちゃん事件にも当てはまる条件となっています。

“ゆかりちゃん事件”以前から物騒な事件が2~3年、あるいは数年おきに発生していた、しかも犯人は一度して捕まっていないという状態はそれだけで由々しき事態であり、地域住民の不安な感情が強まっていたとしても不思議ではありませんが、実際かつての北関東エリアでも、その土地に住む人たちの本能であり直感が事件の同一性や類似性を当然のこととして感じ取り、その感情はそのまま警察組織への激しいプレッシャーに繋がって行くこととなりました。

事件を知る地元の人たちの間では「小さい子がパチンコ屋に行くと人さらいにあう(だから子供をパチンコ屋に連れて行くな)」というようなことが言われた時期もあったようですが(ただし、皆が皆ではなかったようです)、こうなると、これらの連続誘拐殺人事件を受けることとなった地元警察側にも自負するところやメンツを強く刺激される形の焦りが生じることとなり、やがて組織を挙げる形での強烈な圧が、現場の捜査にかかり始めます。

度重なる”未解決事件”の発生が、負の連鎖が生じがちな展開を作り上げてしまったんですね。

冤罪事件の発生

厳格なタテ社会の中での徹底した上意下達で組織が形成されている警察内部にあって、叱責も命令も、より厳しいものとなっていくのは自明のことではあったでしょう。

結果、現場の警察官たちは、組織の上層部からのプレッシャー、一般市民からのプレッシャー、双方からの”圧”を受けながらの事件捜査を余儀なくされ、このうち一件の事件について、誤認逮捕に始まる冤罪事件を”作り上げて”しまいます。

恐ろしい話しではあるのですが、どれだけ探しても見つからない犯人であれば、もっともらしい”犯人逮捕”の結論を作ってしまえばいいという方向へと、流されていくことになるんですね。

冤罪事件は”ゆかりちゃん事件”発生の直近である1990年に足利市内で発生した誘拐殺人事件を巡るもので、事件発生地の市名から”足利事件”と呼ばれています(参考:NHKアーカイブス “足利事件 菅家さん釈放“)が、警察組織内の強圧が生み出した”結論”は、法曹界を巻き込んだ強力なアシストによって、一気呵成に既成事実化されていきます。

冤罪被害者の方は、ある日突然、何の前触れもなく、身に覚えのないことで自宅に踏み込まれた後に連行され、挙句連日連夜の脅迫と暴行の後に重罪をかぶせられてしまった、つまり”犯罪者に仕立て上げられてしまう”という形の被害にあってしまったということなのですが、後になってみれば”怖い話”、そこで語られた結論には一切の真実がありませんでした。

にもかかわらず、一度結論を出した以上その結果は厳格に守られ続けなければならないということで、次には結論に対する異議すらまともに唱えられない状況が作り上げられていきます。

警察・検察・司法が一体となった上、マスコミの消極的バックアップ(マスコミ批判的な文脈でしばしば揶揄される、”報道しない自由”を行使する形のものですね)が力添えをするという形の”ガード”が形成されることとなったのですが、足利事件では、当時開発途上段階にあったDNA型鑑定の脆さや科学捜査への過信(足利事件は、あらゆる面でここに翻弄され続けられることとなりました)が事件解決の足かせになってしまった、という不幸も重なりました。

犯罪や事件とは無縁の一般市民にとっても他人ごとではない話しである分、その恐怖についても生々しいものがあるのですが、この場合難しいのは、当時の捜査を取り巻く環境が、果して現場の警察官だけをとがめられる状況にあったのかどうかという部分です。

もちろんこの場合、警察や法曹側に救いがたい非があることや、健全に機能していない(ジャーナリストを自称しつつ、その実単なる警察広報に堕しているという)マスメディアの仕事が警察のミスを間接的にアシストすることになったという事情が大前提になるとしても、警察側にしてもまた、酌量すべき事情を抱えていたのではないかと考えられなくはない部分を持っているようにも見える、ということですね。

真面目な警察官であればあるほど、想像を絶するような自責の念・焦燥感に駆られ、挙句心身を削られもしたことでしょう。そんな状態で「警察法に規定する職権職務を忠実に遂行」(警職法一条)できるのか、仮にそれが難しくなっていたとして、そういう最も根本的な疑義を呈したくなるような状況は、果してどこで何ゆえに作り出されたのか。

後に警察庁が冷静な視点から概要を自己分析し、再発防止へ向けた取り組みへと繋げている(参考:警察庁公式サイト “足利事件における警察捜査の問題点等について“)など、極めて重い反省材料を残すこととなった”冤罪事件としての足利事件”の顛末ですが、ともあれ、未解決事件の続発は、巡り巡って冤罪事件の発生へと結びついてしまいました。

つまり、事件は解決に向かうどころかむしろその逆で、果てしない遠回りをしてしまっていたんですね。

“未解決事件”の所以

冤罪確定と、その後の顛末

最後に、”解決されたはずの事件が未解決となったままである”という、おかしな部分について。

真相解明が完了したと判断できる要素を持っている“状態に至ったことをもって事件解決だと称すなら、一連の事件は既に実質解決済みの事件だとなるのですが、”世間一般が信頼するに足る権威付けをもって”はじめて事件解決だと称すことが出来るのだ(つまり警察組織による捜査や、捜査結果に基づいて展開される刑事裁判、およびそののちに下される判決の確定や刑の執行をもって判断することが必須だ)と判断するなら未だ全ての事件が未解決であるという、実情としては”宙ぶらりん”な状態にあります。

なおかつ、ここが重要なところなのですが、諸々の事情を含んで今に至っている”ゆかりちゃん事件”を含む一連の事件は、残念ながら今後解決することはないのではないかと思わせる部分を持っているという、なんともやるせない事件でもあるんですね。

そもそも”ゆかりちゃん事件”に先行して発生した足利事件にまつわる、”冤罪事件としての足利事件”が本当に冤罪だったという結論が導けた”快挙”は、「一連の事件の真犯人がほぼ特定できた」(実際に真犯人と思しき人物に会った上で話しを聞き、警察にもその旨情報提供しているようです)ことを担保として、後に”冤罪事件”となった足利事件に切り込み、かつ実際に”冤罪”を暴いたという凄腕のジャーナリスト(冒頭で掲げた『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』の著者、清水潔さんです)の仕事がもたらした結果です。

つまり”冤罪事件としての足利事件”が暴かれていく全過程には、最も根本的な部分に「足利事件は冤罪だ=なぜなら真犯人がこの人物だからだ」という論理構造が存在するのですが、元々一連の事件取材では”冤罪”それのみを暴くことが目的とされていたわけではなく、はじめから連続誘拐殺人事件の真犯人を白日の下に晒し、かつ警察に差し出すことが目的とされていたんですね。

なので、本来であれば冤罪確定の時点で真犯人逮捕まで一直線に話が進んだとしてもおかしくはないはずだったのですが、とある警察サイドの重い(身勝手といえば身勝手な)事情によって、真犯人逮捕までのハードルがとてつもなく高いものに跳ね上がってしまっていました。

未解決の所以

ハードルは、”警察の捜査上のミス”を隠蔽しようとする意思から作られたものです。

これを認めてしまうとさらに重大なミスを認めざるを得ない展開へと繋がってしまうため、警察・検察が自らの正統性を掲げ、組織を挙げて抵抗することになったという”筋”がそこにあるのですが、捜査上の重大なミスとは、足利事件同様、当時開発途上にあったDNA型鑑定の鑑定結果にまつわるものです。

当時のDNA型鑑定等(他、足利事件同様の、信ぴょう性の疑わしい状況証拠や目撃証言)によって死刑が確定してしまった元・死刑囚が、一貫して無罪を叫び続ける中で死刑執行されてしまった、死刑執行後、犯人のものとは異なるDNA型が元・死刑囚の遺品から検出された(死刑執行された元・死刑囚は無罪だった可能性が高いことが、執行後に判明した)という、DNA型鑑定が絡んだ悪夢のようなミスです。

警察が冤罪事件の存在を認め、かつ一連の事件が未解決であると認めて捜査を大々的に再開する場合、どうあってもこのDNA型鑑定のミスを詳らかにすることから逃げられません。そうなると、既にDNA型鑑定の誤った運用から死刑囚として死刑執行してしまった(冤罪可能性の極めて高い)元・死刑囚に言及する必然性が連鎖的に生じることになるため、組織としてはかつての誤りを認めるわけにはいかず、なおかつ再鑑定に応じることも出来ない、という理屈です。

刑事事件の真実探求を業としているはずの警察・法曹組織にあって、これぞまさに本末転倒の見本のような理屈ですが、結局”失態”は隠蔽しきれず、ある意味最悪の形で衆人が関知するところとなりました。

ちなみにこの事件は”飯塚事件”と呼ばれている、冤罪の可能性が極めて高いことで有名な事件です。かつての足利事件同様再審請求自体が非常に高いハードルとなっていて、現在、遺族が第二次再審請求中です(参考:日弁連公式サイト “飯塚事件“)。

話しを戻すと、そのような事情から、目下のところ悪手に悪手を重ねた捜査や裁判、さらには事後対応が、よりにもよって事件の真相解明を遠ざけること、さらには真犯人を守ることに繋がってしまっているという、なんとも皮肉な状態のままにとどめ置かれているのですが、この冤罪事件、さらには一連の未解決事件を巡る動きの中にはまた、他にも特異だと思われる点、さらには非常に不運だったと思われる点が含まれていました。

それは常日頃どちらかというと国民の批判にさらされることが多い野党系議員(事件が騒がれていた当時は、与党側となっていたのですが)の言動が、最終局面において光った(最後の希望がそこに託されることとなった)点です。

冤罪事件の存在自体が白日の下にさらされた後、本来の目的であった未解決事件の真犯人逮捕に向けた動きが国会の場(参院行政監視委員会、参院予算委員会)において作られたことがあったのですが、そこで検察・警察サイドへの厳しい追及が的を射たものとなり、”在野から指摘された真犯人追及への道筋”が、二度に渡って国政の場で突き付けられることとなったのです。

まさに「今度こそ」という流れが作られかけたところではあったのですが、さすがにこればかりは不運だったとしか言いようがありません。この冤罪事件を含む5件の未解決事件が国会でヒートアップしていた正にその時、”1000年に一度の大災害”だと言われた東日本大震災が発生してしまったため、結局一連の流れは全てリセットされてしまうこととなりました。

“真犯人の逃げ得”許すまじとするのであれば風化させるには早い事件ではあるのですが、ローカル線の無人駅にて色あせていく情報提供を求めるポスターの態様は、諸々の前提と事件の現状、さらには行く末を伝えてきているように伝わらなくもありません。

それでも”ゆかりちゃん事件”については現在でも形式上捜査が継続していて、一昨年には太田警察署によって新たな情報が公開されたりもしたようですが、そこがなんとも残念なところであり、同時に怖いところです。

参考:清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮文庫、平成28年6月1日)、”ゆかりちゃん誘拐事件から25年。画像解析により新たな事実が判明。“(桐生市ポータルサイト「はたのね」)、警察情報

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