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【横浜のプロスポーツチーム】横浜F・マリノス
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J1のチームであるF・マリノス関連の話題の他、関連組織である一般社団法人・Fマリノススポーツクラブの公式サイトや公式Twitter、公式マスコット“マリノスケ”の公式Twitter、ユースチームの公式サイトなど、ネット経由の情報発信は多岐にわたっています(参考:Fマリノス公式サイト “SNS“)。
本拠地・チーム情報
日産スタジアム / ニッパツ三ツ沢球技場
現在、F・マリノスのホームグラウンドは2か所あります(F・マリノス公式サイト)。
一つは新横浜公園(公式サイト)内にある横浜国際総合競技場(日産スタジアム。公式サイト)、もう一つは三ツ沢公園(横浜市緑の教会公式サイト)内にあるニッパツ三ツ沢球技場(公式サイト)です(”ニッパツ”は、同じく横浜を地元とするJリーグのチーム、横浜FCやYSCCもホームグラウンドとして使用しています)。
元々日産(JSL)時代やJリーグ発足直後には、JRその他横浜駅が最寄りの三ツ沢公園球技場(三ツ沢公園球技場→ニッパツ三ツ沢球技場)を本拠地としていたのですが、1999年の日産スタジアム完成に合わせて、日産スタジアムもホームグラウンドとして使用することになりました(現在は日産スタジアムを中心に日程が組まれています)。
日産スタジアム
新横浜公園は、目玉施設である日産スタジアムの他、野球場や陸上競技場、テニスコート等々を有す広大な公園で、多くのスポーツを楽しむことが出来る他、四季折々の自然も楽しめます。
強いて難点を上げるのであれば現地までの”足”ですね。
計約650台ほどの駐車能力がある駐車場を有しているので(参考:新横浜公園公式サイト)、「現地までは車で」と考えたとしても通常時の公園利用であれば何の問題もないのですが、問題は大規模なイベント時にあります。
日産スタジアムの収容人数(72327人。参考:日産スタジアム公式サイト)と比較した場合、「一人一台」で単純計算すると、駐車場の収容可能台数が日産スタジアムのキャパの約1/100程度となるため(1台4人計算でも、30倍近い収容台数が必要となります)、日産スタジアムが大入りになることが予想されるのであれば、無いに等しい状態となります。
結果、現地までのアクセスは公共交通機関を選択せざるを得ず、現実問題としてJR横浜線一択となるんですね。
JR横浜線の新横浜・小机間のやや小机寄り、横浜駅から4駅(新横浜駅下車の場合)あるいは5駅(小机駅下車の場合)、横浜発の電車は日中だと一時間に5~6本という運行状況なので、不便ではなかったとしても、便利だといえるかどうか、というところに落ち着きます。
ニッパツ三ツ沢球技場
日産スタジアム竣工以前、日産時代からマリノス時代にかけて日産・マリノスの唯一のホームグラウンドだったニッパツ三ツ沢球技場は、最寄り駅がJRその他の横浜駅です。
“最寄りが横浜駅”というと一見アクセス良好ぽくも見えるのですが、実はこちらもややアクセスに難があって、横浜駅と球技場間にはバス利用(横浜市営バス34系統)がお勧めな距離があります。
横浜駅西口から歩こうと思って歩けない距離ではないのですが、距離自体小机駅・日産スタジアム間の倍以上あって(坂道含む)、時間にして大体30分~40分程度かかります。
駐車場の収容台数は最大で594台と新横浜公園とほぼ同規模ですが、球技場のキャパが15000人を超えていることを考えると、やはりイベント時に”車で”は心もとないところとなります。
なので横浜駅からは徒歩もしくはバス利用が必須で、いずれにしても15分~40分程度はかかる計算です。
“アクセス良好です”と言い切れるほど良好かというと、やはり疑問符が付く感じですね。
ホームタウン
「誰もが、スポーツに出会える街へ」というキャッチコピーの元、F・マリノスは横浜市・横須賀市・大和市をホームタウンとした活動を展開しています。
ほぼ全世代が対象とされている活動(一般向けサッカーイベントの開催が中心です。参考:F・マリノス公式サイト “横浜F・マリノスホームタウン活動“、”ふれあいサッカープロジェクト“)の他、”ホームタウン”の学校との業務提携(市内の小学校の体育の授業や、大学のクラブ活動等への選手の派遣)も行われているようです。
プロ野球でいうところの”フランチャイズ”(興行の中心といったニュアンス)より一歩踏み込んだ”ホームタウン”をJリーグが公式の呼称としているだけのことはあって(参考:Jリーグ公式サイト “ホームタウン活動“)、F・マリノスの活動はより地域密着度が高いようにも見えます。
ここはやはり、数あるプロスポーツの中でも、Jリーグに一日の長があるのが鮮明に伝わる分野ですね。
例えば、昨今のプロ野球のファンサービスがより洗練されたものへと進化を遂げてきたことの陰には、間違いなくJリーグのホームタウン構想や社会連携活動に刺激を受けた部分があっただろうと思いますが、そのことは例えば、DeNA以降のベイスターズを見ていても強く感じられる部分ではあります(参考:横浜DeNAベイスターズ公式サイト “地域貢献活動“)。
Jに追いつけ追い越せという感じで拡充が図られてきた幾多の活動に対し「やればできるならはじめからお願いします」と言うは易しですが 笑、プロスポーツチーム同士がいい意味での刺激を与えあう環境は、ファンとしても試合外でのワクワク感を高めてもらえますよね。
日産、マリノス、F・マリノス
名門・日産自動車サッカー部
現在Jリーグのチームである横浜F・マリノスの前身は、現在のJリーグの前身であるJSL(日本サッカーリーグ)時代の、日産自動車サッカー部にあります。
当時すでに強豪だった日産の硬式野球部の後を追う形で1972年(昭和47年)に創設された日産のサッカー部は、硬式野球部同様、創設まもなく強豪クラブに成長しました。
そうして訪れたのが、80年代の”日産”全盛期です。
後にヴェルディとなるJSL一部・読売クラブとアツい優勝争いを展開する名門チームとなったこの時期、一部リーグのリーグ戦では優勝2回、二位4回、一部・二部全てのチーム参加の形で行われるJSLカップでは優勝3回準優勝3回、天皇杯では優勝なんと5回(準優勝1回)という、輝かしい成績を残しています(すべて80年代の10年間の成績です)。
ただし、当時のJSLはプロではなくノンプロ(社会人リーグ)で、球技自体の人気にしても野球が頭一つ二つ抜けた状態だったため、”JSLの名門、日産”人気はまだまだ地味といえば地味なものでした。
横浜マリノス誕生
日産の最強時代や、”キャプテン翼”効果によるサッカー人気の急上昇に歩みを合わせる形で、80年代末には”JSLのプロ化”が、にわかに現実味を帯びた話となってきます。
こうなると皆が知るところになってくるのが、”名門・日産サッカー部”の戦績です。
当時割と一般的だった”野球・サッカー掛け持ち少年”の間では「かつてホエールズに夢見ていたはずのことを、日産が叶えてくれるかもしれない」的な期待が集まることとなり、マリノスの誕生とJリーグの発足(1993年)、こけら落としとなった”vsヴェルディ戦”を迎えることになるんですね。
マリノスやヴェルディなど、発足当初のJリーグの10チームは”オリジナル10″と呼ばれますが、マリノスはヴェルディと共に、”オリジナル10″の先陣を切ったチームとなったわけです。
改めて当時のマリノスのメンバーを見てみると、松永、井原、ディアス、木村、水沼等々(敬称略)、日本代表や海外代表経験者(かつ代表の中でも中心メンバー)がゴロゴロしている布陣、なおかつ大観衆(国立競技場で5万人超え)の中で、これまた代表メンバー(全盛期のキングカズ、ラモス、都並、武田、北澤、日産から移籍した柱谷弟等々、敬称略)だらけで構成されているような強豪・ヴェルディを相手にがっぷり四つに闘って、しかも勝ってしまった(マリノスが2-1で勝利)という。
これで、盛り上がらないわけがありません。
前提条件を理解するだけでも「思い半ばに過ぐものがある」となってしまっても無理はない盛り上がりに、現実の結果がいい意味での追い打ちをかけたということで、プロ野球でいうところの”伝統の一戦”を(ひいきチームのファンとして)観戦する気分ってこれなのかな、みたいな気分を味わったホームタウンのファンも少なくなかったことでしょう。
そんなこんなで、同じ93年の”ドーハの悲劇”までの横浜市内でのマリノス人気、2年後の95年Jリーグ初優勝時のマリノス人気は、中々のものだったように記憶しています。
今にして改めて思うこととして、ベイスターズの97年のAクラス入り(セリーグ二位)や98年のリーグ優勝・日本一って、マリノス人気がハッパをかけた結果突き抜けた部分が相当あったのかもしれませんが 笑、今後も横浜を代表するプロスポーツチームであるマリノス・ベイスターズは、いい意味での影響をガンガンに与えあって、共に強豪でい続けてほしいなと思う次第です。
F・マリノスへ
その後1998年には、横浜をホームタウンとしていたもう一つのチーム”フリューゲルス”が(親会社である佐藤工業の経営不振によって)消滅、マリノスに合併されたことから、99年シーズンより横浜マリノスは横浜F・マリノスとなりました。
2021年シーズン終了現在、F・マリノスは鹿島アントラーズと並んで「オリジナル10の中でJ2降格が無い」数少ないチームにあたる(J1所属経験があるチームの中でJ2所属経験がないチームも、Jリーグ所属の全チーム中マリノスとアントラーズのみです)他、優勝回数も4回(1995年、2003年、2004年、2019年)と、全チーム中二位(トップは鹿島アントラーズの8回)につけています。
願わくば、この眩しいばかりの戦績を誇る名門チームが、いつまでも強くあり続けてほしいものです。
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