【baystars/キヨシ政権】初代監督時代の思い出と、24年の下克上日本一

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"https://www.youtube.com/watch?v=E5knE3-FEJQ"より引用

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“DeNAベイスターズ初代監督・中畑清”が、日本一への布石(フラグ)だったという論調

参考:Number Web “日本一の瞬間「亡くなった女房が降りてきて…」DeNA初代監督・中畑清が日本シリーズ解説で涙したわけ「こんな景色が見られるときが来たんだと」“、”「負けても負けても取材を受け続けた」DeNA初代監督・中畑清が勝てなくても貫いた信念「お客さんの入らないチームは絶対強くならないんだ」

【baystars/26年ぶりの歓喜】下克上からの日本一達成!日本シリーズにて”進化”の総決算へ

そこまでの論調が一般的かどうかはわかりませんが 笑、「今の(強い)ベイスターズがあるのはキヨシのおかげ」は、ほぼベイスターズファンの共通認識のようなもので、昨年あたりからやたら方々で言われている「祐大のおかげ」よろしく「~のおかげ」を考えるとしたら、オーナーの南場さんに並び立てるのはこの人位ではないかと。

ラミレス・三浦両監督ももちろん十分よくやってくれていますけど、キヨシ政権時代無しにそのパフォーマンスを発揮できたかといえば、かなり微妙なものがでてくるのではないでしょうか。

“開拓者”はやっぱり偉大なんですよね、ということと、あとはそこに”キヨシ監督”を据えたフロントの慧眼ですよ。

もちろん、選手、フロント、現場スタッフ、皆それぞれ役割が違うので、そういう単純比較をできるような話ではないなんてことは重々承知の上での、多分に感覚的な捉え方(かつ私見)ですね。

思えばあのチームに対してそういうポジティブな見方を出来るようになったのも、結局はDeNA以降の話しなのであって、実際にキヨシ監督時代あたりからですよね、わざわざプロ野球の試合を振り返ってまで楽しもうなんて思えるようになったのは(除・98年シーズン)。

で、つい昨日今日の話しですが。

そのキヨシ監督のロングインタビューがナンバーに出ていました。

読んでいるこっちまであの時の感動を思い出しつつウルウル来るような、なおかつ「リアル内川コピペ」のような物語がそこにはあったということで、というか内川コピペ超えてますね、これは。

負けても負けてもチームを根本から強くするために前に出続けた監督。今でも覚えていますよ。

そういうキヨシ監督の前向きな姿勢が、ファンを動かし選手を動かししたんです。

なんかちょっと、「リアル・スクールウォーズ」要素も入っていますね、普通に 笑。

今改めて「暗黒ベイスターズって一体どんだけのチームだったんだよ」なんてことを思ったりもしますが、それはさておき。

その監督が、自らが礎を築いたチームの日本一をかけた試合の解説を任され、”教え子”達は見事日本一に輝いたと。そんな現場に亡くなった奥さんが降りてこられたなんてことになった日には、それはキヨシ監督じゃなくても涙腺が限界突破してしまうことになるでしょう。

桑原選手のエピソードなんかも最高でしたね、と思いましたが、いや本当に、やっぱり野球の神様っているんでしょうね。

どこにいるのかわかりませんが 笑、太古の昔より八百万の神々が国を作り、さらには祀られてきたこの国で、野球の神様がいないと考える方が不自然なことではありそうです。

そんなこんなで、キヨシ監督、南場オーナー、三浦番長。

現時点でもこの辺の人たちに関しては、将来的に節目のところで横浜公園のどこかに銅像(胸像)建ててもいいんじゃないですかね 笑。

なんてことを久しぶりに思いました。

参考:【26年ぶり日本一】「横浜DeNAベイスターズ日本一 優勝パレード2024」30万人のファンの皆さまと祝う夢のようなひととき!選手からの感謝のメッセージも!

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