【変わりゆくアキバ】秋葉原が”オタク”の街だったのって、果たしてどの程度の期間?

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戦後一貫してという人がいれば、ごく一時期に過ぎないという人もいますが

参考:リアルサウンド “秋葉原ルポ、オタクがいなくなっているのはなぜ? アニメ・漫画の聖地で起きている変化の内容“ほか

類似の話題として

最近というか、少し前からしばしば見かける話題の一つですね。

結局は”オタク”の定義によってどうとでも取れます、ということにもなるのかもしれませんが、オタクの街・秋葉原は本当に終わってしまったのか、さらに秋葉原は今後もオタクの街であり続ける必要があるのか否か。

個人的には、いわゆる”オタクの街・全盛期”だった頃の(90年代後半~00年代前半頃の)秋葉原は都内でも好きな街の一つではありましたが、それでも今なお”ねばならない”とまで強く思えるかどうかと問われれば、今となっては「さほどでも」といったあたりが正直なところです。

件の時期の秋葉原は確かに楽しい街ではありましたが、だからといって”未来永劫秋葉原はかくあるべしか”と問われれば、それはそうそう簡単に最適解が見いだせるような問題でもないのかなと。

どこかそんな風に思えて来ます。

あの盛り上がりがさらにヒートアップした上で今に繋がっているというような話しであればまだしも、ある意味なるべくしてそうなったといった形で寂れて来た、というのがしばしばいわれる現状なので、だったらここらが潮時なのでは? とも思えなくもないという感じですか。

巻き返せるのであればそれもまた良し、このまま衰退していくのであればそれもまた良しですね。

そもそも記憶を辿ってみれば、そういう盛り上がりを見せはじめていた頃言われていたことって、「最近の秋葉原ってなんか変わってきたよな」みたいなことではなかったでしたっけ。

あくまで個人の記憶ベースの話しなので強く断定できるところではないですが、そんな記憶がおぼろげながら残っていたりします。

80年代は電気街として有名で、電気街となる以前はラジオの街だったり無線の街だったりマニアックな電気部品の街だったり(なんて話を聞いたことがありますが)、元々は萌えの欠片もないような街だったところに、家庭用ゲーム機やPC、さらには周辺AV機器の普及に乗った形で、いつの間にか、気が付いたら全く別の街になっていたと。

そこに位置するのが”オタクの街”としての秋葉原ですからね。

いやいや、オタクの街といえば秋葉原なんて昔からオタクの街ではあっただろうけど、最近言われるオタクってこれまでのオタクとはちょっと異質なオタクだろ、というような。

そういう内容を持った会話は、”今のアキバ”の黎明期には頻繁に聞いた覚えもありますが、それが秋葉原という街の昔からの姿だったというよりは、概ね90年代後半あたりから00年代辺りまでという極々一部の期間、奇跡的にそういう特殊な街になっていた時期があったと、恐らくはそのくらいの(どこかドライにも見える)捉え方がこの場合の正解ではあります。

秋葉原の歴史の中では、極々短期間の賑わいだったんですよね。

ただし、という部分として。

“オタクの街”が一般的にも騒がれるようになり、かつ”オタク”にカテゴライズされる(趣味、あるいはライフスタイル等々)なんらかのあり方が市民権を獲得したのは、一つには海外からの一部訪日客(=海外の”オタク”たち)に”アキバ”的なコンテンツ(ゲーム、アニメ、漫画等々)、さらには秋葉原の街自体が抜群にウケたから、続く事情としてはその勢いに便乗したマスコミ、さらには政治家や役人が(”アキバ”を起点としたサブカル等に)“cool Japan”のお墨付きを与える形になったからですが、世の風潮として”オタク”が単なる蔑称の域を出たのも、概ねこの頃からではなかったでしょうか。

言ってみれば、日本のオタクが海外のオタクに救われる形で市民権を獲得したのも、なんだかんだで“アキバ”の盛り上がりあってこそだった(コンテンツの質があってこその話しだ、という部分は言うまでもないことですが)、そういう動きが色々ひとまとめになっていた部分があったからこそ、単なる街の盛衰それ自体に留まらない、”オタクの街・秋葉原”への思い入れが出てきているのではないかというようには感じますが、やはりその分、かつての在り方が衰退へと向かっていく傾向には、色々な思いが錯綜するところとなって来るのでしょう。

この場合はもちろん、街が完全に死に体へ向かっているといった意味ではなく、オタクたちが前ほどアキバを推さなくなった位の意ですが、その意味での”下降線”へのターニングポイントは概ね盛り上がりのピーク(00年代半ば以降、10年代前半)に隣接しているとみられることが多く、理由については、

  • ネット通販が発達したから、結果的に現地の商売の規模が縮小していった(結局はこれが一番決定的じゃなかったでしょうか)
  • はじめは細々楽しまれていたはずのコンカフェ(ex.メイド喫茶)等の数が、適正数を超えて激戦化していった(露骨な商売や非合法な商売も増え、巡り巡って治安が悪化した)
  • リアル・バーチャルを問わず”コンテンツ”が飽和状態となって行った(早い話し、”アキバ”的なコンテンツが飽きられていった)

といった辺りが恐らくは万人の見解が一致するあたりではないでしょうか。

ほかにも、

  • 中央通りにドンキ(ドン・キホーテ=黒と黄色の看板でおなじみの総合ディスカウントショップ)が来たから(治安の悪化や客層の変化が懸念された形のものですね)

が理由として挙げられる機会も多々あったように記憶していますが、こういう(経済で言うところの)”ミクロ”的な部分の事情の他、当時の秋葉原が再開発の対象エリアとされていたという事情が”オタクの街”にとって吉と出なかったことも、かなり大きな理由ではあったでしょう。

“再開発”はつくばエクスプレス開業(05年8月)に伴うもので、ほぼ同時期には駅前にUDXが開業するなど、秋葉原という街自体が大きな改変期を迎えていました。

萌えだオタクだという世の風潮的な部分、あるいはコンテンツだコンカフェだという商業的な部分とは別に、”街としての秋葉原”の構造自体が変わり始めていたのだということですが、思えば秋葉原駅前にあったラーメンの名店”いすず”が銀座に移転したのもこの頃の話しでした。

かつてのサブカルチャーは今や国の後押しを受けたメインカルチャーの一端となった、同時に秋葉原の街自体が変革の時を迎えていた時でもあったということで、寂しい話しではありますが、結果論的には潮時といえば潮時でもありました。

かつての秋葉原に求められていたものは、今は例えば各々の作品の”聖地”に求められるようになったというように、成長した”オタク文化”が秋葉原という”ハブ”を必ずしも必要としなくなったということでもあるのでしょう。

件のコロナ禍は、いわば一連の流れへのダメ押しですね。

今では”地方の町おこし=アニメ、ゲーム“という形が割と鉄板になりつつあるところもありますが、その意味では、その大元・元祖となった街こそがかつての秋葉原だったのだ、なんて捉え方も出来るところではあるのかもしれません。

それでも”かつてのオタクたちが一杯飲みたくなる街”として秋葉原の明日が繋がれていくことになるのであれば、それはそれで一つの洒落たエンディングってことになりそうです。

【今日の一冊/お勧め書籍】西村京太郎『浅草偏奇館の殺人』(文春文庫、2000.1.7)

“エロ・グロ・ナンセンスが一世を風靡する昭和7年の浅草六区”が舞台とされた猟奇(?)ミステリで、かつてギラついていた”浅草六区”が鮮明に、今現在の浅草がややくすぶり気味に描かれているあたりが、謎解きに勝るとも劣らないという本作のメインの味わいどころです。

翻って、そう遠くない将来、いずれは今の秋葉原にも”浅草偏奇館”でいうところの浅草六区に該当するような未来が訪れることになるのかもしれないと考えると、それはそれで心に沁みてくる一面があるようには感じました。

“エリアとしての浅草”は”エリアとしての秋葉原”の隣町でもあるのですが、ここに隅田川や上野公園界隈、さらにはアメ横や御徒町あたりの街歩きを追加すれば、”下町欲張りセット”の出来上がりですね 笑。

古き良きをかみしめたい気分になったときの、おすすめ書籍でした。

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