西村京太郎『終着駅(ターミナル)殺人事件』レビュー

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西村京太郎『終着駅(ターミナル)殺人事件』レビュー

『終着駅(ターミナル)殺人事件』(光文社公式サイト読書メーター)は、同じ西村京太郎作品の中でも『浅草偏奇館の殺人』のような異色作ではなく、時刻表トリックその他を駆使した王道のトラベルミステリです。

光文社から出版されている文庫版としては2009年(平成21年)の出版ですが、初版は1984年(昭和59年)、現在のJRの前身である国鉄=日本国有鉄道在りし日の一作ですね(参考:NHKアーカイブス “国鉄分割民営化 JR発足“)。

物語は、東北(青森)出身の刑事・”亀さん”こと亀井刑事が「青森の高校時代の同級生と、久しぶりに上野で再会することになった」というところから始まります。

亀井刑事の上野駅への想いが、半分はモノローグ調で、残りの半分は実際の会話として語られるのですが、「同じ23区内にある駅でも、上野駅には東京駅新宿駅等と違って独特の旅情がある、半分は東北方面の空気でできた駅のように感じる」と語られる”亀さん”の思いが、都会に出てきた同郷=青森県人の人物像描写にも反映されるという、もうこの時点で”この手の話しが好きな人”には刺さりそうな、どこか昭和の郷愁が漂うスタートです。

浅草寺公式サイト)でおなじみの浅草界隈もほど近く、駅裏にあるのは徳川将軍家や彰義隊に縁の寛永寺(寛永寺公式サイト “寛永寺の歴史“)であるという史跡豊かな一帯は、確かに、今でもところにより東北方面との親和性が感じられる一帯でもありそうですが、まずはその前提が”読者の目を欺くトリック”として使われることになるんですね。

ちなみに、ミステリ小説で言うところの”トリック”に必要なのは、”ノックスの十戒”(pixiv百科事典 “ノックスの十戒“)、あるいは”ヴァン・ダインの二十則”(pixiv百科事典 “ヴァン・ダインの二十則“)でいわれるような、制作上のルールを逸脱しない範囲で人目を欺くことであって、手短にいうなら”チートはNG”、”御都合主義もNG”、”定番オチも理不尽もNG”、全てが理路整然とした理屈で繋がらないとまずい、という作品全編を通じた論理的整合性です。

逆に言えば、それさえクリアできていれば、あとはどんな手法で読者を欺こうが作者が好き勝手やれてしまうところとなるのですが、”鉄道ダイヤの妙”と共にある西村京太郎作品のトリックの特長は、それが常に”読者目線の思い込みと表裏一体となっている”ところにあります。

こう描けばこう見えるだろうな、を前提として一つ一つ罠が仕掛けられていく感じですね。

見方を変えると「それは知らなかった」「そんな話があるのか」といった意表の突かれ方をすることは(少なくともトラベルミステリには)それほど多くないようにも思えてくるので、読者によってはトラベルミステリはあまり刺さらない、という人もいるにはいるようです。

ただし人間関係の妙がトリックの肝となることが多い分、クライマックスへの展開はとても映像映えするものとなるのが常で、小説を読んでいてもそのことが強く伝わって来るので、ハマる人はとことんハマる、ドラマ化も繰り返されるという人気作品となっているんですね。

ということで、話を戻して”終着駅(ターミナル)殺人事件”ですね。

“皆がどこかで感じさせる純朴さ”にまつわる描写が「皆が皆、昔と変わらず根はいい奴であり続けたんだ、いいなぁ、こういう関係」というような意図的なミスリードを作り上げると同時に、作者の意思はその行間に巧妙な罠を次々仕掛けていきます。

本当のところ、かつて純朴であったはずの”皆”は世の辛酸を舐め、あるいは本能の赴くままに生きてしまっていたのだという”現実”を経て今に至っているのですが、そのこと、つまり”かつてのそれぞれとは変わってしまった今現在”があるということはまた、舞台裏で登場人物間の連帯の強さを作りだします。

結果、「完全にやられた!」(さすがにこれは気づけないだろう)という展開につながっていくんですが、物語の後半では”人間関係の妙”が巧妙に作る落とし穴にトリックを絡めてくる形になって、「やられた」感も二重三重となります。

最後の最後で「事件が突発的な理由から起こったというよりは、積年の恨みの延長にあったものであること」が明かされる下りもまた秀逸で、全トラベルミステリの中でも屈指のおススメ作品の一つです。

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