【横浜DeNAベイスターズ】2017年のベイスターズ -ポストシーズンの戦い-

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【横浜DeNAベイスターズ】2017年のベイスターズ -ポストシーズンの戦い-

OUR TIME IS N.O.W. -CSの泥試合-

2017年のベイスターズ

2011年にDeNAに球団買収された後、ベイスターズは一新され、毎年のように見どころを作ってくれるチームになりましたが、中でも2017年のベイスターズの健闘は、新生・DeNAベイスターズにとって最初の大きなピークにあたります。

シーズン終盤、ポストシーズンを前にして新たに設定されたチームのスローガン”OUR TIME IS N.O.W.”(横浜DeNAベイスターズ公式Facebookより)の下、CS(NPBクライマックスシリーズ。2007年初開催。以下CS)からの日本シリーズ初出場を勝ち取ったシーズンとなりました。

中畑政権最終年にあたる2015年は5月に単独首位に浮上(しかし以降振るわず)、翌2016年にラミレス政権下のチームがCS開催9年目にして初のCS出場を決めると、2017年も「今年こそは!」の期待が強かった中でしぶとくAクラス入りし、CS出場を勝ち取ります。

vs阪神タイガース@甲子園球場

“CSに出ること”ではなく”CSで結果を残すこと”が求められた2017年のポストシーズンは、ファーストステージ、甲子園での戦いで幕を開けます。

雨天中止・順延としたくてももう日程がカツカツで、これ以上詰めようがなくなってしまっていたという状況下、ポストシーズンに入っても天候に恵まれず。一方で甲子園のグラウンドキーパーはグラウンド整備に関して高い技術を持つことで有名な阪神園芸さんだったということから「雨でもやれる」的な空気が生まれるなど、種々の条件が折り重なった結果の試合開催強行となりました。

甲子園 泥試合」でGoogle画像検索すると今でもこの年のCSファーストステージ第二戦の画像だらけになるという、ある意味伝説のCSとなったのですが、ちなみに通常”泥仕合”といった場合、それはただ単に色んな意味で酷い争いのことを指し示します。

一方でこの場合の”泥試合”は、言葉通り両チームが泥にまみれて試合をする、といった意味合いで使われます。

確かに酷いといえば色々酷いのですが 笑、”酷い”の意味合いが通常の用途で言われるニュアンスとは少々異なりますということですね。

YouTubeには今でもダイジェスト版の映像がいくつか残っていますが、内外野問わず転がる打球が水しぶきを上げる、そもそも転がした打球が転がらずに止まる、結果通常時であればただの凡打になったであろう当たりがシングルどころか二塁打になる等々、この試合じゃなきゃ見れないようなシーンがそこかしこにあったという”泥試合”の結果、ベイスターズはタイガース相手に勝利をおさめ、広島での戦いへと進みます。

ファーストステージ終了後、球場に残っていた両チームのファンが非公式なエール交換をしていたり、死闘後の余韻が印象的だったことも記憶に残りますが、それもこれも、NPBの歴史に残るような泥試合あってこそではないでしょうか。

ところで、ベイスターズにとって、甲子園は実は結構特別な球場でもあります。

“2017年のCSファイナル進出を決めた球場となった”という点でもそうでしたが、98年のセ・リーグ優勝を決めた球場でもあり(大魔神・佐々木が当時阪神のスター選手だった6番打者・新庄-現・北海道日本ハムファイターズ監督-から三振を奪い、ゲームセット)、さらには98年から38年前、1960年の大洋ホエールズが初優勝を決めたのも甲子園球場でした(阪神相手の試合には敗れたものの、二位巨人が敗れたことで優勝確定)。

ということで、甲子園は球団史に絡むドラマの舞台となることが多い球場なんですね。

一方のタイガースはといえば、ベイスターズのホーム球場である横浜スタジアムを得意としていることから”ハマスタは阪神のホーム”などと言われることもしばしばあるような相性だったりするなど、両チームの間には奇妙な因果関係が見え隠れするようなしないような、そんな一面もあったりしますが、そんなことを改めて感じたCSだったりもしました。

日本シリーズ、vs最強ホークス

“完全体ホークス”との闘いへ

2017年のベイスターズの戦いは、広島でのCSファイナルを経て、日本シリーズのvsソフトバンクホークス戦へと続きます。

2017年のホークスと言えば、工藤政権3年目にして3シーズン全てAクラス(優勝2回、二位1回)、2010年代最多のシーズン94勝(勝率.657)と、チームとして全盛期と言える数字を残していましたが、言うまでもなくこの数字は各選手の活躍に裏付けられたものです。

エース千賀の勝率は.765(シーズン13勝4敗。17年パ・リーグ最高勝率)、クローザーのサファテはシーズン54セーブ(現在も日本記録。66試合登板、防御率1.09)、中継ぎ陣も盤石で、チーム本塁打数ではデスパイネ(35本。ホームラン王、打点王)、柳田(31本)、松田(24本)と、チームの中軸とその付近にいるバッターだけで90本(チーム本塁打数はパリーグトップの164本)、2015年以来チームのキャプテンを務め、チームのリーダー的存在だった4番内川は、数字的にはややピークを過ぎていたものの、それでもまだまだ十分全盛期に近い働きが期待できる状態だったなど、ほぼ隙の無い布陣です。

結果、近年最強と評されることも多く、しばしば”完全体ホークス”などと称されるチームとなっていました。

シリーズ前の下馬評では、ベイスターズ側が胸を借りる形の戦いを予想する流れが圧倒的で、記憶に残るところだと「4タテを食らわずに済むかどうか」が主要な争点だったように覚えています 笑。

一方はCSで下克上(この場合の”下剋上”とは、ペナントレース優勝チーム以外のチームが日本シリーズに進出することです)を決めた若いチーム、もう一方はいるべくしてその場にいる完全体の王者とあっては、それも仕方ないところでしょう。

そんな両チームの間で始まった日本シリーズでしたが、開幕早々ベイスターズはヤフオクドームで二連敗、ハマスタに凱旋した第三戦でまたしても負けてしまったということで、早々に下馬評通りの展開が進みます。

甲子園→広島→福岡と、横浜から遠ざかる形で進むポストシーズンの長い遠征後、ようやく本拠地に帰ってきたと思ったら第三戦ではとうとうがけっぷちになってしまった、ということでベイスターズファン的には意気消沈するか負けん気だけが表に出るかといった状況が用意されることになったのですが、ベイスターズとファンにとっての2017年の日本シリーズは、実質”がけっぷち”の第四戦から開幕します。

ベイスターズの反撃

第二戦、第三戦も接戦だったのですが、結局ベイスターズは連敗しました。

試合ごとの見せ場はあったとしても、いい記憶に残る形での見せ場にはなり得なかった、せめてもう少し早くチームがお目覚めしてくれればと今からすると思わなくもないのですが、ここからの三試合は後の語り草となっていきます。

まず背水の陣で臨んだ第四戦と、その勢いで臨んだ第五戦。

2016年のドラフト、”ハズレ・ハズレ(明大・柳、桜美林大・佐々木の重複指名後の指名)”一位ルーキー・濱口遥大投手(2017年はシーズン10勝6敗の大活躍)のノーヒットノーラン未遂(8回1アウトまでノーヒットノーラン)を含む二安打零封でシリーズ初勝利・完勝すると、翌第五戦は先制された後に逆転し、再逆転された後に再々逆転して逃げ切るという大接戦。

三連敗の後に実力で押し切る二連勝で踏ん張って、再びヤフオクドームへ。

開幕前の下馬評もどこへやら、あるいはひょっとするとひょっとするかもしれないというような空気がこのあたりで出て来た記憶もありますが、仮に第六戦を取れれば三勝三敗のタイ、それも三連敗からの三連勝になるということで、現実問題としてシリーズの行方は一気にわからなくなります。

多くのベイスターズファンがハマスタ凱旋直後とは全く違った気分で観戦することとなった第六戦は、期待を裏切らない、ものすごい試合となりました。

日本シリーズ第六戦

被弾後逆転! そのまま9回へ

そうして迎えた、運命の第六戦。

試合開始直後の二回には、やっぱり地力が違うのかと思わされるような先制(ホークス・松田選手のソロホームラン)をされるのですが、その後5回には、この日意表を突く形でスタメンに抜擢された白崎選手のソロホームランで同点、その後ロペス選手の二点タイムリーで3-1と逆転。

下馬評が下馬評だった中で”完全体ホークス”とがっぷり四つの試合展開に、ベイスターズサイドの気分は否が応でも盛り上がります。

その後8回裏に一失点したもののベイスターズリードのまま試合は9回まで進み、最終回のマウンドは山﨑康晃投手(シーズン4勝2敗26セーブ)に託されました。

王者相手にわずか一点とはいえ、リードを保ったままでの”抑えの切り札”登板です。

シーズン中には深刻な不調も経験したとはいえ、結果的に無二の守護神となって帰ってきたベイスターズの守護神登板とあって、ファン的にはこの時点で「このシリーズ行けるわ!」が確信に変わり始めますが、試合は未だ手に汗握る最後のヤマ場の真っ只中です。

いうまでも無く、「行ける!」のは「ここを乗り切れば!」という条件付きの願望になってくるのですが、9回裏1死で迎えたバッターは、この日3打数0安打(1三振)と全く振るわなかった、ホークス4番・内川選手でした。

ヤスアキ vs 内川

周知のように、内川選手といえばその昔、暗黒時代のベイスターズを代表する名選手だったというキャリアを持ちますが、暗黒末期の2010年にFA(フリーエージェント制度は、一定年数同一チームの一軍に在籍するなどその条件を満たした選手が、自身の望む球団に移籍できる制度です)でベイスターズを去り、翌年からは故郷・大分に近い福岡をホームとする強豪チーム・福岡ソフトバンクホークスの一員となりました(暗黒チームと最強打者)。

自身にも様々な葛藤があったが故に出たという、その去就に伴ったストレートな言動がファンの間でも賛否さまざまな反応を呼び起こすこととなったのですが、いわばベイスターズにとっては”因縁の相手”ともいえる大打者ですね。

その最強チームのチームリーダー、NPBを代表する打者の一人である内川選手が、ホークスにとっての土壇場の場面でベイスターズの前に立ちはだかることとなります。

この日限定で言えば、イケそうだといえばイケそうな相手に見えなくもなかった、とはいえ実績を考えれば逆に3-0だったからこそ怖い相手でもあった(さすがにそろそろなんか来るんじゃないか)という、なんとも不気味な相手に、気合の塊だったベイスターズ抑えの切り札・山崎康晃投手が相対します。

この日ここまでの内川選手は確かに沈黙していたのですが、それでも”ベイスターズの守護神”との一球一球の勝負はとてつもなくスリリングで、ちょっとでも気を抜いたら、あるいは何かをミスってしまったら即やられる、そんな緊張感の中で勝負は進みました。

運命のツーシーム

勝負の行く末はどう転んでもおかしくはない、というギリギリの勝負の中で投じられた、”守護神・ヤスアキ”の三球目。

カウント1-1から内角低めギリギリにコントロールされた、キレッキレの、結果論から言うなら運命のツーシームが投じられます。

ちなみにツーシームとは、今も山崎投手の決め球となっている、縫い目に指を添わせるようにボールを握って投げる、落ちる速い球です。

右投手の場合右方向(右打者の内角方向)、左投手の場合左方向(左打者の内角方向)に曲がるように落ちます。比較的最近よくその名が聞かれるようになった変化球で、それ以前からの変化球との比較だと、シンカーに軌道や握りが似た(ほぼ同じ?)変化球ですね。

鋭い軌道で絶妙なコースにカクンと落ちるツーシーム、「これは打てないだろう」というような球だった記憶があるのですが、恐ろしいことにまさにその球だけを待っていた、ベイスターズにとっては因縁の相手でもある希代の好打者・ホークス内川によって真芯でとらえられ、ボールはレフトスタンドへ。

内川選手のソロホームランは、”気を抜いたら””ミスったら”ではなく、完璧に投げた守護神の決め球を狙い打ったという、”完勝”の一発でした。

この一発で、土壇場で試合が振出しに戻ります。

後年、内川選手自身がその打席のことについて元・大洋ホエールズの高木豊さんの動画で語っていましたが、打席に立ったまさにその直前までの状況を考え、「ツーシームが来る」ことを読み、ヒットではなくホームランを狙い打ったようです。

ちなみに高木豊さんも、内川選手が”ヤスアキのツーシーム”に的を絞り、ホームランを狙い打ったことをわかっていたようですが、熟練の大打者・内川選手だったからこそ可能となった貫禄の「読み勝ち」ですね。

投げる方が投げる方なら打つ方も打つ方だという、まさに”プロ対プロ”というにふさわしい勝負の結果、軍配は現ベイスターズの山﨑ではなく、元ベイスターズ、現ホークスキャプテン(当時)の内川に上がりました。

“野球は流れのスポーツだ”(=個々の技術もさることながら、技術に基づく試合展開の詳細が勝敗を左右する、位の意味ではないかと思います)とはよく言われることですが、この一発が土壇場の土壇場で試合の流れをも変えていきます。

戦いの後で

“ヤスアキvs内川”を挟む形になりますが、9回から11回までは、ホークスの最強クローザー・全盛期のサファテがシーズン最長となる3イニングをしっかり抑えると、延長11回裏にはこの日4打数3三振と全く振るわなかったホークスのセカンド川島がライト前にサヨナラヒットを打って、試合を決めます。

この試合では、ベイスターズ側には細かいミスや不運も重なったのですが、結局はそれも実力差に含まれるということになるのか、ホークスはベイスターズ相手の日本シリーズを4勝2敗で制し、2年ぶり、8回目の日本一に輝きました。

シーズンを通じて成長し、ポストシーズンの激戦を通じてさらに強くなっていったという感のある2017年の若いベイスターズ、その象徴の一人でもあった抑えの切り札ヤスアキに対し、球界最強球団として君臨していたホークスの熟練キャプテンとして、若いベイスターズの前に立ちはだかり、最後の最後で「ベイスターズ優勝」への望みを打ち砕いた、前横浜ベイスターズ所属のホークスキャプテン・内川。

この二人の対戦を柱として、見るところを見れば、というか特にベイスターズ目線で試合展開を見た場合、漫画にしても出来過ぎのような、そんな要素を持ったシリーズでもありましたが、一方の雄である内川選手も2019年にホークスを退団してヤクルトスワローズへと移籍した後、2022年限りでプロ野球選手を引退しました。

思えば色々ありましたよね、なんて結び方も出来そうですが、2017年は”This is my era”(≒今年は俺たちのシーズンだ)という年間スローガンが、結果として有言実行になった一年でした。

(”【沿線風景回顧】ちょっと懐かしい横浜公園とベイスターズ“から記事を分離し、リライトしました)

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