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諸般の事情が重なった上での値上げであれば、一概にそうともいえず、ただし…
参考:JIJI.com “郵便料金制度、見直し開始 来夏に答申―総務省審議会“、総務省 “「郵便事業を取り巻く経営環境等の変化を踏まえた郵便料金に係る制度の在り方」の情報通信審議会への諮問“、GrooveWorks “郵便料金の推移をグラフで見る“、国立国会図書館 “郵政民営化の現状“、時事エクイティ “郵政民営化(民営化への道のりとマーケット)“、inukugi : web “廃止された郵便局“ほか
ただしこれ(割と頻繁な値上げ)が将来に渡っての傾向として残されるということであれば、いわゆる郵政三事業のうち少なくとも郵便事業は、やはり”民営化”にはそぐわないサービスだったのだということにはなりそうです(三事業の他二つは、貯金と保険です。今回は省略します)。
なんだかんだ、公営時代にも値上げがなかったわけではないので(昭和40年代に比べると、現状は約8倍となっています)、値上げそのものを理由として”民営化失敗”を言うことは出来ないところではありますが、今後の展開如何ではそんなことは言っていられない状況に陥る可能性も十分に考えられる、ということですね。
実際、日本郵政が行った”民営化”アンケートでは”民営化によって良くなった”と評価している人が4割に達している反面、全郵便局長を対象としたアンケートでは7割超が”悪くなったと評価している”と回答しているようです。
顧客に近づけば近づいただけ非難の声が強くなるという、一番質の悪い”改革”のありかたですが、元々”郵便”サービス自体は公営で親しまれていた面が色濃かった上、民営化後に郵便局の閉鎖等が相次いだ際には、そのことを持ってサービスの低下が言われた時期も、あるにはありました。
郵便局の廃止自体は90年代辺り(つまり民営化前)から結構な数あったようなのですが、もしかすると”民営化”がなければ生き残っていた郵便局というのも相当数あったのかもしれませんね。
それはそれとして、元々郵政民営化議論自体は、幾多の建前の裏側に政争的な性格も強く潜んでいました。
しばしばいわれるのが”小泉純一郎氏による小沢一郎氏潰し”(この二人、出身大学のみならず学部まで一緒のはずなのですが、かつてはとにかく仲が悪かったんですね)のため、あるいは”ブッシュ大統領による、小泉首相への強い要請によるもの”だったというあたりで、要は単なる政争の具として(郵政民営化が)使われた面があったと見られている節があるということですね。
特に前者については小沢一郎氏への恨みつらみから、小泉純一郎氏が郵政民営化を唱えるに至った(純粋に郵政云々というよりは、時の郵政大臣としてたまたまそこを知ってしまった小泉氏が、”奴らが守るものを潰す”に至ることになったという、いわば政争丸出し、まず初めに政争ありきの捉え方ですね)、結論として、一連の流れのゴールにあたるスローガンである”自民党をぶっ壊す”が大いにウケたと。
そういう見方をされている節も、あるにはあります(詳細忘れましたが、確か平成期の政治史関連の新書で、某政治学者の方が提示されていた見方です)。
要は、その改革には勢いがあっても中身がないと、そういう評価なのですが、なんていうか、ものすごい既視感を伴う評価でもありますね 笑。
実際、ダーティーな政治家(金には汚いが政治家としては有能だってことですね)だったと言われることが多い田中角栄氏の派閥をごっそり奪い取った金権政治屋、竹下登氏が昭和・平成過渡期の自民党の領袖となった、かつその派閥が以降の主流となっていったという時点で、“もはや平成以降の自民党はぶっ壊されてしかるべきものに成り下がった”といえば確かにそうとも言える面は持ち合わせていたのかもしれませんが、さすがにこればかりは”それはそれとして”という話しではあります。
その場合、”時の小泉純一郎さんがぶっ壊したかった自民党”は、まさに”小沢一郎氏の向こう側にあった、旧態依然とした自民党”だということになるのですが、当然のこととして、小沢潰し・自民党潰しのための”実際の政策(たとえば郵政民営化)”の方にも、実行するに足るだけの根拠は必要となってくるからですね。
ちなみに、竹下登さん。
“昭和の大政党・自民党”の終わりの始まりにあって、消費税を始めた総理大臣としても有名ですが、総理に就任早々、自身を含めた身辺が汚職塗れとなっていたことを暴かれることになった(リクルート事件、東京佐川急便事件等々)、効果不明瞭なバラマキ政策である”ふるさと創生事業”が激しいバッシングを呼び込んだ、退任後も”利権””金塗れ””悪しき派閥政治”の話題に事欠かなかった等々の点でもお馴染みの方ですね。
前記した小沢一郎さん、平成期の政界語りにおいてはしばしば”悪の権化”のように言われるシーンがあったりなかったりしましたが、その場合の”悪の権化”筋のラスボスにあたるお方が、この竹下登さんです。
結果としてろくでもないイメージばかりが宿ることになったというあたり、派閥(木曜クラブ=旧田中派)の有力構成員として、”親”(田中角栄氏)を出し抜いたことへの天罰か何かなのでしょうか 笑。
少なくとも、反社も深くかかわっていたというヤミ献金事件=東京佐川急便事件の端緒については概ねそのあたり=”田中角栄裏切り”が発端となっている話しであることから、その意味では竹下登さんが呼び込んだともいえる性格を持った汚職事件ではありますね。
思えば、内閣総理大臣の座に”総理然とした総理大臣”が着任しなくなったのも、戦後日本経済の終わりが始まったのも、概ねこの人(竹下登さん)以降の話しだったりするのかもしれません。
“昭和は遠くなりにけり”なんて言い方は好きではありませんが、今となっては”経済大国・日本”なんてそれこそ見る影もありませんからね。
時代の過渡期にあってなるべくして金塗れになって行った、その分、その政権担当期が以降の”崩壊”前夜の象徴に見えなくもない節が多分にあったという、そんなイメージが見え隠れする政治屋さんの一人が竹下登さんではありますが、ともあれ。
以降、平成の30年間をかけて日本の政治は音を立てて崩れていくことになった、件の”郵政民営化”もそんな只中にあった”改革”の一つでした。
元々が”ここだけずば抜けてまとも”を期待すること自体、野暮な話なのかもしれません。
「民営化してもしなくてもどっちでもよかったところ、”しなければならない”という内向きの強い理由=いわゆるオトナの事情的なモノがあったために、そこに後付けで種々の建前が載せられる形となった」が全くの荒唐無稽なデタラメであるとすると、今ごろ郵政民営化(この場合は特に、郵便部門の実績ですか)は抜群の成果を上げていて然るべきはずのところでもあるのですが、果たして現状や如何に。
なんて話しですね。
「前に比べて郵便を使いづらくなった」と感じるようであれば、そのあたりがおよそ本当のところなのでしょう。
以下は余談として。
かつて”郵政民営化”に反対する政治家には、時の”人気総理”である小泉純一郎氏によって各選挙区へと刺客が送り込まれることとなったのですが、例えばということであれば、元はその刺客の一人に過ぎなかったのが現東京都知事の小池百合子さんです。
“反・自民票”の流動によって(かつ、”女”であることを武器として)90年代初頭に政界デビューした方が、およそ10年ほどあちこち転々とした後に、よりにもよって(既にかつての”芯”を失って久しかった、言ってみれば落ち目の)自民党にその人気を見込まれて刺客になったと。
もとより”信念”やら”中身”やらがあろうはずがないのは、議員時代に自明だったはずなんですよね。
翻って現在の都政、および都知事選がどのような惨状となっているか。
“小泉劇場”にはある意味国民は騙され切ることになりましたが、”小池劇場”の顛末や如何に。
今回の都知事選については、特にネットでの選挙運動自体が工作活動塗れのモノになっていると指摘されている一幕もありますが、要は“当選することそれのみを目的としたような、口八丁手八丁、知名度とカネで選挙を買いに行っているような(大手マスコミが大好きな)候補が複数見受けられる現実がある”ということですね。
因果なものというかなんというか、”まとも”を期待するのであれば、色んな意味でそろそろ目を覚ますべき時に来ているのだってことなのかもしれません。
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