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キャッチボール相手や運転手まで勤めていた”通訳”ですからね
参考:デイリー新潮 “「水原一平氏」の通訳は、本当に“意訳しすぎで聞き取りづらい”? 「日本人バイリンガル」が明かす“意外すぎる評価”とは“、Number web “水原一平氏の通訳能力、米でのリアル評はどうだった? 在米プロ通訳者が分析「水原氏は憑依型」「並の通訳ではない」後任との最大の違いは…“他
以前にTV番組にて何かのコメンテーター?が一平氏の意訳が云々言っているという報道を見たのですが、具体的にどこがどうなんだろうと、すごい疑問ではあったし、興味があるにはあったんですよね。
仮にそれが事実だったとして、どのあたりをどう意訳していたんだろうか、その意訳が的外れ?だったとして、これまではなぜそんな通訳が(ギャンブルで自滅するまで)延々やれていたのでしょうか、なんて感じで。
実際に具体例を挙げている報道を見てみると、ああなるほどといった感じですか。
つまりはいつものマスコミ、マスコミの通常運転あるあるみたいな話しですね。
いざふたを開けてみれば、この通訳(一平氏)じゃなきゃ拾えないような(大谷選手の)意思まで拾い上げての意訳だったってことで、なんてことはない、こういう事例のことを非難しての評だったってことであれば、実は通訳としては滅茶苦茶有能だったってことではないですか 笑。
あたかも自分が大谷選手であるかのごとくにって 笑、そもそもそういう部分まで正確に意訳に含めることが出来るのであれば、それは本人が言いたいこと、言ったことをある意味本人以上にうまく伝えることが出来ているのだということで、通訳としてほぼ最上級の通訳ですよ。
だからこそ、ありえないやらかしで全てを失ってしまったことが重ね重ね悔やまれるところではあるのでしょうが、それはそれ、これはこれ。通訳として云々と、やらかしてしまったこと自体の罪の重さは、本質的に全く別の問題なんです。
この場合の意訳センスの可否なんて、限られた字数の中でいろいろやってる映画の字幕みたいなもので。難癖付けたいなら最低限、該当箇所について自分自身の英語解釈についても併記すべきところではあるでしょう。
穿った見方をするのであれば、”多勢に無勢を笠に着ての公共の場での死体蹴り”がそのままやらかしにつながっていくって、人としてこんなにみっともないこともそうそうないのではないかというような気もしなくはありませんが、今さらといえば今更、相変わらずといえば相変わらずという、そんな報道姿勢でしたね。
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