【流行と廃れ/カフェで仕事】こういうのは大体、”一般化すると御法度へ”という感じで

cafe & gourmet

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変化するものだと相場が決まっているんですよね

参考:AERA.dot “「カフェでお仕事」コーヒー1杯で“長居”問題に店が悲鳴 「8割がカフェワーカー」の切ない現実

カフェ仕事、カフェ勉強。

個人的には全然ありじゃないかとは思いますが、かといって全てのケースでそれが容認されるべきかと問われれば、今となっては特にそうとも思いません。

なんというか、カフェは元々お茶しに行くところだし、そういう使い方もありっちゃありだろうけど、多分、それって店側が黙認できる範囲での話だったりするんですよね。

多分もなにも、当たり前のことですか。

だったら、店側が悲鳴を上げている時点でそれが答えってことなんですよ。

ということで、コワーキングスペースだの”勉強カフェ”だのという新しい形態のサービスが台頭しはじめた昨今、そういうのもボチボチ潮時ではあるのかな、なんてことを感じたりもします。

目的に応じて、お店を選ぼうぜ、って話ですね。

「かつて」ってことであれば、パッと街中を見渡したところで、そもそもそんなに選択肢が豊富ではありませんでした。

だからこそ客は客として、少ない選択肢の中から自分的な最適解を選択し、その上で(そこがカフェだ、あるいはファミレスだってことであれば)最低限の気を使う、店側は店側でそういう態度を見て色々察した上で、場合によってはそれはそれとして黙認する。

魚心あれば水心じゃないですが、その意味ではかつては店員さん側にも勝手知ったる出来た人が多かったように思えたりもしますが、今となってみれば、それが黙認できる程度に収まっていた時代って、それはそれで古き良き時代だったってことなのかもしれません。

まあでも、今の時代には今の時代の良さってあるわけで、それが何かといえば、目的に応じてより多くの選択肢を求めることが出来る時代になったのだ、ってことでしょうか。

外出て勉強仕事しようと思えばそれ用に作られた場所が一般化してきている、にも関わらず、特にその用途でお客さんを集めているわけでもないカフェに相も変わらず入り浸りっぱなしでは、何か色々かみ合わなくなって来るものが出てきても、それはそれで致し方ないところでもありそうですね。

そういえばその昔、「朝日新聞の取材・記事化はブームの終わりを意味する」(アンテナが低いメディアに取り上げられるくらい世に周知されてしまえば、あとは流行が失速していくのみ、の意ですね)なんていうキツめの評をどこかで目にしたことがありましたが 笑、系列の雑誌がこういう話題を記事化しているという時点で、この手の話題にしてももはや結論が出て久しい、という状態なのでしょう。

ABCテレビニュース “【人間模様】よなよな大人が勉強カフェに訪れる事情【真夜中の定点観測】”

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