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同日は、結果論的には”明治国家”の終わりが始まった日でもありますね
参考:NHK公式サイト “真珠湾攻撃とは“
巷では、というか某SNS界隈では「日本人として、心よりの謝罪が云々」などと、1948年12月24日付朝日新聞の社説のような、なんともおめでたいとしかいいようがないお花畑コメント(?)を、80年越しで垂れ流す人たちであふれかえっていたりもするようです。
占領統治時のメディア戦略があまりに効きすぎて逆に当時の敵国が困惑しているんじゃないかなんて思えて来たりもしますが 笑、それはそれとしてそんなことよりは、むしろ日本人としてはこっちの方がよほど大切なことにあたるんじゃないかと。
「勝てば官軍」をゴリ押していくといずれどこかで必ずそういうことになるんだと、ケンカ無敗のサムライ国家が国中丸焼きにされた上でそんなことを思わされた戦いこそ、まさに第二次世界大戦の対米戦だったわけですからね。
どうしてそんなことになったんだと、当時を生きた人たちこそ、自らの手でとことん納得いくまで総括したかったことでしょう。
そういう話をするのであれば、占領統治下において、日本人の言論を封じるという形をもってそれをさせなかったのもまたかつての敵国・アメリカであり(占領統治サイドによって、日本人による自らの論理の破綻へのツッコミを、事前に防ぐことが狙いとされた形ですね)、その成果が今現在もまかり通る、”偏った常識”に如実に表れていたりもするわけですが。
政治的色合いが前面に出た弔意なんて、それもはや死者を弔って云々なんて純粋な気持ちで語れるものではないんですよね、仮に無意識のうちにそうなっているのであれば、これほど質の悪い話しもあったものじゃないでしょう、なんて思ったりすることもありますが、ともあれ。
最終的にそういう無謀な戦いに国を挙げて突っ込んでいかざるを得なくなってしまった、そんな時代を生き、その上で日本のために命を賭して戦って下さった全てのご先祖様と、さらには全ての戦争の犠牲者に。
黙祷(-人-)
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