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賛否両論許容されてしかるべきケースって結局はレアで
参考:MBS NEWS “【丸刈り強要】ハンドボール部の元顧問教諭に停職3か月懲戒処分「連帯責任で、自主的に頭髪の丸刈り迫り」部員に精神的苦痛 大阪・豊中市“
大抵は「無茶言うな」って話に収れんしていくのが精々です。
改めて、そんなことを思わされました。
今回の話しであれば、ポイントは「丸刈り強要」それ自体のみではなく(それはそれでおかしいといえばおかしいかもしれませんが)、なぜ強要されるに至ったのか、その部分の理屈が明らかにおかしいんですよね。
というか、「一度入ったら簡単には辞めさせん」「粗相には頭丸めてけじめつけろ」等々。
本当に堅気の世界の話しなのかと見紛うような何かが求められているようにも見えますが 笑、義務教育の世界はヤクザの世界などではないので、理の無いことをゴリ押そうとしてもそう簡単には出来ないと思いますし、出来ないことをやろうとすれば、当然ひずみも生じます。
もしかすると昭和の頃であればこの程度のことは問題になっていなかったかもしれませんが、それでも今回罰されたような行動をとれば、生徒や保護者からの信頼は確実に急落したことでしょう。
“理”、あるいは筋の通らない厳しさがそこにあるからで、しばしば古き良きとして回顧される(こともあるという)”昭和の厳しさ”的なものとは似て非なるものだと思います。
というよりは、明らかにそれを勘違いした人の愚行ですね。
まず、授業態度云々をとがめられた結果連帯責任で丸坊主って、そういうのは少なくとも他人にやらされてまで本来の意味を持つ行為ではないんですよ。
「した」と「させられた」では、当人たちにとっても周囲にとっても意味合いが全く変わってくるからですが、強要の有無を問わず、それを指導者側が(自身もしくは自身の同僚への謝罪として)生徒に提案している時点でアウトってことですね。
謝罪の意が当人たちから出ていない時点で謝罪としてもアウトだし、何一つ問題が解決していないところに新たな問題を生じさせているあたり、指導としても及第点を付けようがないものです。
例えば「粗相しても、結局は坊主にすりゃ万事済まされる」なんて考えをゴリ押されたとして、それが”ゴリ押された”側に根付いてしまった場合、その偏りは得てしてモラルの形骸化を伝搬させ、さらには本旨の見誤りを常態化させますが、今回の問題自体、恐らくはその辺を見誤った人の発想によって起こされた問題なのでしょう。
こういう言い方をしてしまうと身も蓋もないのですが、そもそも今日日の”坊主謝罪”なんて、究極的にはやる側の自己満とやられる側の空気読みに立脚したものでしかありません。
率先してやるのであれば意気に感じないこともない、かといって自発的に言いださないからおかしいって話しではないし、言われてやったとなればそもそも意味合い自体が変わってくることもある(頭を下げているのは生徒なのか、それとも生徒を坊主にした”何か””誰か”なのか)、諸々含めて考えたら、簡単に済む話が無駄にややこしくなるだけでしかないケースも出てきます(今回のケースが、まさにそれですね)。
そもそも授業態度がおかしいことを問題視するのであれば、それが矯正されるまで部活には参加させるな(どうしても治らないのであれば最悪退部させる)、が素直に考えた場合の筋ですし、それこそ”昭和の頃”であればまずそちらが採られたことでしょう(実際、それに近い話しであれば、身近なところでもボチボチ見かけました。全国レベルの強豪クラブでの話しですね)。
その上で、果たしてそこまでの、あるいはそういう形の謝罪が必要かどうか、ここを生徒自身の頭でしっかり考えた上での行動でない限り、上辺の形だけの坊主謝罪なんぞには今日日全く意味がないのだってことですね。
付け加えると、辞めるなら代わりを連れて来いって話については傲慢で身勝手そのもの、部費の無許可使いまわしについては道義的に完全アウトでしょう。
どの道、令和だろうが昭和だろうが許されるべき言動ではなかったってことですか。
色んな問題を含む話ではあるのかもしれませんが、結局のところ、立場相応に生徒を”厳しく”思いやれる能力を持った先生が激減した結果の顛末だったと、そういう話しでもあったのでしょう。
どうにも、これはこれで寂しい話しではありますね。
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